難聴

難聴で傷ついた小学生の頃

今まで、難聴を抱えながら生きてきてたくさん苦労してきましたが

たくさんある中で、なぜかこれだけはずっと覚えてる深く傷ついたエピソードです。

事件は、小学5年生の時。もう10年以上前。

難聴発覚は小学校入学検査の時なので

小学校に入学する時には、先生も私が難聴なのは把握していてくれていて

でも、6年生の時にやっと補聴器をつけたので、5年生はまだ補聴器をつける前でした。

ある日、帰りの会で帰る直前の先生の挨拶の時に

先生は突然口頭で宿題を言いました。聞き取れず。

そこから下校の集まる時間に間に合わなくなってしまうから時間がなくて

先生も挨拶をしたらすぐに教室を出てしまい、

隣の席の友達にさっき先生、宿題なんて言ってた?と聞いて教えてもらいましたが

友達に教えてもらっても、何度聞いても聞き取れず。

もうメモなども帰りの支度が終わってる状態ですぐに出せない。

集団下校の時間に間に合わないと怒られる。

小学5年生の私にできる最善を尽くしましたが聞き取れなかったので

家に帰ってから母に今日の帰りに先生が宿題のことを言ってて分からなくて

友達にも何回も言ってもらったけど聞き取れなかったから

学校に電話して、宿題を聞いてほしいと頼みました。

難聴でも私は特に聞き取りにくい音があって、

それは何度聞いても聞き取れないってわかっていたので

自分で電話してもう一回聞くという手もあったけど

何度聞いても聞き取れない音だなと思ったので母に頼んで聞き取ってもらいました。

今考えても置かれた状況を考えると、あの時の私にできる事はやったな。と思うのに

先生に電話してもらった時に

「なんで直接聞きに来なかったの?」

なんで自分で行動しなかったの?なんで自分で電話しなかった?

というふうに言われました。

これに私は深く傷つきました。

私からすれば、なんで大事なこと黒板に書いてくれなかったの?と思うし、

できることはやったし、分からなかったけど

分からないままだといけないから解決策として

自分じゃ聞き取れないことを判断して母に電話してもらった。

なのにそれは甘えだと言われました。

もう10年も前の話なのに、いまだに思い出すと悔しくて涙が出るくらいの出来事でした。

難聴って障がいって理解されないものなんだなと思いました。

理解されてたまるか。とも思いました。

その経験があって、私は強くなったと思います。

先生は傷つけるつもりなんてなかっただろうし

普通に会話できるとしか思ってなかったと思います。

小学生で自分の難聴について伝えるのは難しかった。

自分で理解するのも難しかった。

聞こえないことに対して大人になればなるほど

ネガティブになってしまっているけど

借りれる人の手を借りて

助けてくれた人に感謝しながら最大限に恩返ししながら

今日もこれからも私は大切な人たちとずっと楽しく生きていきたい。

大半の人に理解してもらえなくても。少なくても助けてくれる人は絶対いる。

身近に障がいを持った人がいる訳じゃない友達も私が聞こえない時サポートしてくれる子がたくさんいます。何度も言い直してくれる人も身近にいる。

自分が普段周りにいいことをしていると必ず返ってくる。

みんなが助け合っていける世界になりますように✨